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イスラエル医療団の記録1

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    某誌でのボツ原稿ですが、記録として残しておこうと思いアップしました。
    今後も全体像とは別に彼らの姿を紹介できればと思います。

    日本初の海外医療団活動、イスラエルにより南三陸町で行われる。

     3月11日、津波による深刻な被害を受けた宮城県南三陸町。町役場も流され、町内の病院や診療所もすべてがなくなってしまった。人口の半分以上にあたる9,350人が避難を余儀なくされ、避難所生活ではインフルエンザなどの感染病や衰弱、持病の悪化などの健康被害が懸念された。


    ・壊滅的被害を受けた南三陸町志津川病院のエントランスホール

     この南三陸町に、日本で初となる海外医療団による診療所が3月29日に開設された。やって来たのイスラエル国防軍医療部隊。およそ日本では紛争国としてしか知られていない彼らが50人の医療団と100点の最新医療機器を含む医療物資80tとともに現地へと入った。


    ・避難所脇に設置された診療所

     日本の医師免許を持たない海外の医師が日本国内で医療行為を行うことは禁止されている。しかし、この未曾有の被害を受け厚生労働省は被災地に限りこれを許可する特例措置を出した。しかし、これは海外からの申し入れだけでは不十分で、地方自治体からも受け入れ申請しなければ成立しない。南三陸町のように役場が流され、職員自身も被災している中で自治体がこのような特例を知る由もなく、なかなか実現にいたらないという現場と省側のギャップが浮き彫りにされ、各国からの医療団にその特例が当てはまるケースは少なかった。
     その中で、南三陸町に隣接する栗原市の佐藤市長は若いころイスラエルに留学した経験を持ち、交流を続けていたことから、この特例を知り即座にイスラエルへ南三陸町への医療支援を申し出てこの派遣が実現した。


    ・南三陸の空に翻るイスラエル国旗

     イスラエルは4度にわたる中東戦争、レバノン戦争、パレスチナとの武力衝突と世界でも実戦経験の豊富な国である。街中ではバスやショッピングモールなどが爆破攻撃の標的となり、倒壊した家屋からの生存者救出や緊急治療のスキルは世界でもトップクラスである。医療部隊はその経験を活かし、トルコやタイ、ハイチ、NZなど世界各地の災害現場で緊急救援活動を行ってきた。今回は先遣隊の報告をもとに、発生後2週間が経過していること、避難所での感染病、衰弱などを危惧して、緊急医療としての活動よりも総合病院としての機能を果たせる診療所の開設を決断した。

     プレハブ6棟からなる診療所は軍需産業から発展したIT先進国であるイスラエルの技術が反映されていた。最初に受付をすると、名前と生年月日をもとに電子カルテが作られる。そのカルテはバーコードで管理され、すべての科の医師へ送られて必要とする診察へとスムーズに移動する仕組みとなっていた。診察後は診察結果と処方がプリントされた用紙を渡され、今後日本の医者にかかるさいにどのような治療を受けたかを説明するものにもなる。治療が終わったと判断されればコンピューター上から患者の個人情報は破棄される。
     小児科、耳鼻咽喉科、産婦人科、内科、外科など必要な専門医師14名が派遣され、それぞれ専門の看護士7名も帯同する。最新型のデジタルレントゲンや携帯型の超音波エコー、感染症を調べられる血液、尿検査機器などが備えられ、プレハブの中には妊婦検診から出産、新生児対応、子供、大人、老人とすべての対象を想定した設備がそこにはあった。

    最初の診察を受けたのは南三陸町の佐藤町長だった。自身も津波にさらわれ、奇跡の生還を果たし復興の陣頭指揮をとっているが、被災後はじめてレントゲン検診を受け、わき腹に覚えていた痛みが骨による異常ではないと診断された。そして、少しずつ診療所を訪れる人たちが増え始めてきた。


    ・診察を受けた佐藤町長とレントゲン技師

     気仙沼から来たという男性は、ようやく道がつながり南三陸を訪れて診療所へとやってきた。花粉症用の目薬をもらいに来たが、受付からのプロセスに若干めんどうくさそうにもしていた。しかし、眼科での診療を受けると瓦礫の粉塵による炎症を併発していると判断され、三種類の目薬を処方された。「目ん玉取り出してしまいたいぐらい、つらかったけれどおかげで収まったよ。前は普通に医者に行けばよかったけれど、それも今はできないから。ほんとにありがたいよ」と少し晴れた顔をして診療所をあとにした。
     杉の多い地方でもあり、季節がら花粉が大量に飛んでいる上に、津波で破壊された町中の瓦礫が粉塵として風に乗って飛んでくるため、目や耳、のどの不調をうったえる人も多かった。


    ・診察を受ける人たちも少しづつ足を向け始めた

     やってくる患者の中には子供たちもいる。目がはれてしまった生後11ヶ月の女の子は、医者にかかること自体が生まれて初めてで、しかも相手は体の大きなイスラエル人だ。泣きさけんでいたが、おばあちゃんにおんぶされながら診察を受けた。
     小児科では子供たちが来たときのためにと、おもちゃや絵本、クレヨンを持参してプレハブの中を色とりどりに飾っていた。小児科看護士のガリットは「海外派遣は言葉の問題があってコミュニケーションが一番重要になるの。でも小児科じゃそれは大丈夫。子どもたちはみんな世界共通の言葉を話すのよ」と笑顔を絶やさなかった。プレハブの飾りつけはハイチに派遣されたときに考え付いたアイデアだそうだ。
     すぐ脇の避難所で生活している小学校を卒業したばかりの俊介は「なんか変な外人たちがいるってきいたから見にきた」とたびたびここを友だちと一緒に訪れるようになり、遊び場としても活用されていた。


    ・子供たちは屈託のない笑顔で飛び込んでくる
     
     また力を入れていたのは妊婦検診だった。もともとこの地域に産婦人科医がおらず、検診を受けるには石巻などへ車でいかなければならなかった。被災直後、道も寸断されガソリンも手に入らず、避難所や自宅で不安な日々を過ごしていた。


    ・巡回検診に向かうオフィール大佐

     自らも産婦人科医である医療チーム指揮官のオフィール・コーヘン大佐は診療所へとこられない地域の家へ巡回検診をはじめた。津波で被害を受けた志津川病院で生き残った三浦朝子助産婦とともに、携帯型の超音波エコーを使って胎児の様子を母親に見せ、その心音も聞かせていた。
     震災以降、胎動が感じられず不安に感じていたという妊娠8ヶ月になる28歳の母親はエコーに写るわが子の姿に笑みをこぼした。「男の子か女の子か知りたいかい?」オフィールがそう聞くと、父親はちょっと迷っていたが、母親は「二人目だし、早く知りたい!」と答えた。
    「じゃあ、男の子と女の子、どっちがほしいんだい」と問いかけると、「一人目が男の子なんで、今度は女の子が言いかなぁ」という母親。するとオフィールはいたずらそうに笑い、「ビンゴ、おめでとう!元気な女の子だよ。経過もすべて順調!」そう伝えると部屋いっぱいに家族の笑い声がこだました。
     この一家は自宅が津波で一階部分が浸水し、高台の親戚の家に2家族14人で暮らしている。診療を終え帰ろうとするとおばあちゃん二人がしきりとお茶を勧めたが、次の家が待っているため、今度観光できたときにいただきます、と心苦しそうに断っていた。
     車に乗り込むと、オフィールは「子供っていうのは未来なんだ。あたらしい未来が生まれてくるんだ。ここにもきっとまた未来が開けるさ」と津波で破壊された漁港をみつめてそうつぶやいた。


    ・エコーで胎児の様子を知らせる産婦人科チーム

     隊員たちが放射線への恐怖も感じていたのも事実だ。隊員はみな携帯アラームを身につけ、朝晩には測定技師が大気中や地表を測っていた。診療所を訪れる人たちにもガイガーカウンターで放射線量を測定した。避難所で暮らす人たちはそこでまったく安全な数値だと教えられると、安心した表情を見せた。情報が不足し、恐怖感だけつのる中で目に見える形で不安を取り除くことも大切なことだった。
     「俺たちだって放射能は怖いさ。国を出てくるときは日本全部が大変だって報道も聞いたからね。水も全部持参してきたくらいだよ。でも医療団にとっては医療が必要な人にそれが届かないことのほうが怖いのかもな」そう測定技師のシムションは語った。


    ・「お前も測定してやろうか」と毎日いってくるシムション

     海外初の医療団ということで受け入れる側もはじめてのことだった。日本の医師団と協力して活動し、避難所の診療所ではできない検査や治療などを行っていた。すべてが順調というわけでもなく、あるときには一部の日本側の医師が海外の診療所へ行く前にかならず日本側の診療所へこさせるようにしなければ撤退してもらう、と伝えてくるような一幕もあった。しかし、大部分の緊急医療隊や自衛隊の救護部隊などは診療所を見学に訪れ、イスラエル部隊と意見交換をしながらお互いの活動を披露していた。イスラエル部隊もこれらの機器を日本の医療団に使ってもらい、ベースとして機能を果たすことも目的としていた。


    ・日本医師団とのミーティングは逐一行われていた

     イスラエル医療団はイスラエル国防軍所属する軍人だ。医療班は軍服の上に白衣をはおり活動している。イスラエルでは18歳になると男性は3年、女性は20ヶ月の軍隊生活を義務付けられている。除隊後も年に1ヶ月は予備役として訓練や作戦に参加する。今回の医師や専門技師もほとんどは通常、現地の病院で勤務しているが、災害派遣時には予備役として軍属に戻り参加している。 


    ・和式トイレの使い方で盛り上がる女性チーム

    ユダヤ教徒でもある彼らは派遣中もユダヤの戒律を守ることを義務付けられている。熱心なユダヤ教徒は少ないのだが、国の部隊である以上、それは守らなければならない。従軍ラビ(ユダヤ教教師)も同行しており、朝昼晩の三回の祈りや、ユダヤ人にもっとも大切な安息日の儀式も執り行っていた。
     食事には特に厳しく、宿泊していた栗原市のホテルでは食事は取らず、近くの公民館をかりてすべて自分たちで持参した宗教規定に適合する食材を調理して食事を取った。
     安息日、金曜の日没から土曜の日没までは一切の労働が禁じられ、火を使うこと、電化製品のスイッチを入れることなど実に細かい項目も禁じられている。ただし、人命救助に関しては適応外となるため、医療団の診察行為は続けられた。
     しかし、診察行為以外は守らねばならないため、土曜の朝に技師たちがやってきて、「悪いんだけど発電機のスイッチ入れてくれないかな。あと湯沸し機もお願い。君はユダヤ人じゃないからOKだから」という一幕もあり、ユダヤ人はどこに行ってもユダヤ人という一面もかいま見ることがあった。


    ・安息日の祈祷をするラビ。本来は写真撮影も禁止だが、記念になるから治外法権で、と許可した。

     その後も診療所での活動や各避難所、家庭への巡回診察も続けられた。そうして震災から1ヶ月となる4月11日に撤退することが決まった。部隊はイスラエルから持ってきた診察機器を診療所へ残し、日本の医師団へと引き継ぐことを決めた。各国での派遣で使ってきた機器だが、医療施設のなくなってしまった南三陸にとっては何よりも必要なものであろうと判断し、首相へと陳情したからだ。
     イスラエルはそれほど裕福な国ではない。ユダヤ=富豪という日本特有の認識があるが、そのほとんどはイスラエルにはいない。貧困問題やパレスチナ問題、「アラブの春」による周辺諸国の政治情勢変化。それらをかかえながらも彼らはアジアの最西端から最東端へと飛んできた。

     別れ際に医師たちと話すと「私たちが国際的に非難されることがあることも知っている。でも国を守ると同時に私たちは人を助ける力を持つ集団でもあるんだ。医者である以上は助けられる人がいるところへはどこへでも行くよ。いつかこの任務が私たちの主要任務になればいいと思っている」と語っていた。
     そして「助けられれば、と思ってきたけれど、南三陸の人たちの姿を見て教えられたことがたくさんあったよ。みんな混乱の中に我慢強く生きている。ハイチでは患者のほとんどは暴動でけがした人たちだったからね。このような国がこのままだとは思わない。きっとまた日本は俺たちをびっくりさせてくれると信じているよ」彼らはそうメッセージを残して帰国の途へとついた。


    ・「日本のお辞儀を教えてくれ」と言われて教えたら、ちゃんと使っていた技術スタッフ

    ユダヤ教の経典、タルムードには「一人の命を救うものは、世界すべてを救うに等しい」との言葉がある。
    思いだけでは人は助けられないこともある。
    力だけでは人を傷つけてしまうこともある。
    正しい思いと力がひとつになったときに、人は人を助けることができ、そしてまた人に助けられる。 そうしてまたこの世界は、日本は立ち上がっていくことができるのだと信じたい。
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